冬男十句  あした誌5月号より
冬男句鑑賞 あした誌5月号より
 ■冬男十句


冬男十句 あした誌5月号より


 ■冬男句鑑賞 「あした」誌5月号より転載

蔭雪や問わるいのちの持ち時間

  日の当たる処、即ち格好のいい表現ばかりする傾向が現俳壇にはある。俳句はあくまでも文学であり、詩である以上は、人間内心の苦悩即ちダークサイドを抉るような切実な表現が肝要であることは言うまでもない。揚句は「蔭雪」という自然現象に託して、己れ自身の生命感に触れて表現している。人間誰しもが持つ余命への危惧を、作者は殊更に意識したものと思われる。そして、その危惧を眼前に翳って冷え冷えと迫る雪の存在に象徴寓意させているのである。かつて加藤楸邨が生涯の志向とした象徴俳句と同様のものを、作者はこの一句に込めて表現している。
  中七の「問わる」という表現は、作者が己れ自身に対して詰問していると思われる。即ち自問自答なのであるが、その問いに対する答えは返って来ない。運命宿命の混濁した闇が眼前に立ちはだかり、その闇に向かって際限のない問いを繰り返しているのである。すでに喜寿に迫る作者は、さまざまな体調の不安に直面し、言いしれぬ苦悩の日々を送ることもあると想像される。人生という得体のしれぬ存在にたいして、常に問い続ける俳人としての作者の声が、筆者の耳には谺しているように感じられてくる。

乳房欠けし埴輪に亀の鳴く夜かな

  「亀鳴く」という季語は古来から珍重されている不思議な季語である。実際には亀は鳴かないのであるが、それを鳴くと断定するあたりに風狂の呼吸が感じられ、俳諧の凄さがあるとも思われてくる。揚句は数千年の歴史を終えた埴輪の婦人像の乳房が欠けていたと表現している。さまざまな風雪の果てに欠けたであろうその乳房の行方に、読む側は無限の謎めいた時空を想像させられる。人間社会の栄枯盛衰や、サスペンスドラマのような世界も胸中に展開する。そして、その想像世界の一際が「亀鳴く」という独特な俳味の中に封じ込められて行くのである。

足元をすくわれたるや半仙戯

  〈達治亡きあとはふらここ宙返り〉という作が筆者の師石原八束にある。孤高の詩人三好達治に親炙し、師事した八束が、忽然と或る日その死に遇って、際限のない虚無感に浸ったというのである。ぶらんこを漕いでいて宙返りしてしまうような、狂わんばかりの悲しみに襲われた心境がこの一句から窺える。揚句もやはり半仙戯即ちぶらんこに乗って、思わず足元をすくわれたような思いに浸ったというのである。直前に〈風車駆け出し記者の一記憶〉という作品がある。若い頃、事件記者としてさまざまな人生経験をし、人間関係の機微にも触れたとおもわれる。その若き日々を回想しながら、俳句ひとすじに生きてきた現在の境地を表出している。ふとその胸中をいくつかの経験による暗い影がよぎる。人に裏切られた折の不快な体験が、ふらここの揺曳と共に甦ったというのである。

筆者 老川敏彦