■ 冬男の歳時記 《冬》    平成14年


 今年の立冬は十一月七日だった。熊谷市の生家の常光院で恒例の投句箱開きと立冬の句会があった。よき日和だったが、確かに冬が立った感じが山内にあった。今年は「秋」が短かく一足飛びに冬になった。雪便りも、初霜も初氷も、気象観測以来、早い記録という気象ニュースが報じられた。
 冬に入ると、かならず思い出す師・零雨の


 芭蕉蕪村一茶の忌あり冬篭り
   零  雨

の句がある。この句は、はじめて零雨先生が師走の二日を若い私たちの文学サークルの勉強会に常光院まで来駕下され、北風の吹きすさぶ利根川提に吟行され範を示したり、夜ははじめて連句の実作を指導下さった。その折り、先生と同道された日本画家の村雲大朴子画伯(川合玉堂の高弟)の冬野菜の画に<芭蕉蕪村…>の句を画賛して下さった。今も、この画賛は装額されて、常光院の本堂と庫裏の間にある応接間にかかげられている。私は、この句をその時拝見して「はっ」とした。もち論、芭蕉、蕪村、一茶は俳句を学ぼうとする者にとっては、象徴、ロマン、俳諧という俳句の三つの潮流を分けた俳聖として作品も出自も知っていなければならないこと。
 調べたら、いずれも陰暦だが芭蕉は十月十二日、一茶は十一月十九日、蕪村は十二月二十五日に没している。すなわち、今の立冬から新年に亘って、いずれも冬に亡くなっていたのだ。文学博士で俳諧研究家でもあった零雨先生ならではの句で、下五の「冬篭り」という季語が絶妙に効いているのである。三俳聖の忌を修すこころが「冬篭り」の季語に集約されているのだ。忌の句としては絶唱である。
 芭蕉、蕪村、一茶がいずれも冬に没したことは、すべてを捨て俳諧で生きぬいたことが、いかにきびしかったかをも、教えられる思いであった。
 十一月は山茶花や八手の花や石蕗、枇杷、茶の花といった冬の花がひっそりと咲きはじめる。木枯らし一号が吹き、色を尽くした冬紅葉をも散らす。遠嶺の雪も輝きだし、農村では冬構えや麦蒔きに追われる。
 東京などは家庭生活も、季節の移りと重ならなくなった。冬支度は秋物の衣類を冬物にかえたり、ガーデニングやベランダの鉢物の手入れなどに冬支度が変わった。金沢の兼六公園の「雪吊り」とか、秩父地方の干柿づくりのT柿すだれUなどをテレビの映像で見て、冬の訪れを知るようになった。十一月は、この年の旅のシーズンの終りでもある。そして文化の日を中心に、日展や院展が始まり、文化勲章の受章者も決まる。日本の文化のその年の稔りの秋でもある。


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 十二月は師走の季語が生きかえる。季感の薄れた都会でもクリスマスツリーが点灯され、歳末商戦がたけなわとなる。関東では浅草の酉の市の熊手売り、関西では夷講が盛ん。
 新海苔が店に出て、冬至の柚子湯にひたる。京都南座の顔見せも師走の伝統行事。九州は高千穂の夜神楽が、村をあげ、各戸で終夜奉納され、踊り明かされる。リサイクル化ブームで、東京の世田谷のぼろ市も大賑わいをみせるようになった。歳末の亡びゆく行事の中で、逆に、ぼろ市やべったら市などの伝統行事が復活してきたのもうれしいことだ。そして歳末。年賀状書きも終り、紅白歌合戦、第九交響曲の演奏、除夜の鐘と、一気に大晦日になだれこむ。


 虚の雪虚の星置き聖樹かな
   淑  美

 神を冒涜した句では決してない。しかし、日本のクリスマスを詠んだ現代俳句として残る句になる。『暉崚康隆の季語辞典』=桐雨先生=の巻末に「除夜」の項があり、現代の俳句として


 星座正し思い乱るる年の夜も
   冬  男

の作品を「過ぎ去りゆく年の人間の喜怒哀楽はまことにさまざま」─と入集して下さった。


 年つまる玻璃をぴしぴし星が打ち
   冬  男

これも石原八束先生が代表作として称揚して下さった。歳末の季語には「松迎え」「討入の日=赤穂浪士のこと」「年の梅」大晦日の日のことを「名残りの空」というように、とてもいい季語が一杯ある。


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 一月は、日本人にとっては年がただ改まることではない。元旦は一家が揃って家長や年男が「若水」を汲み、「福湯」や「屠蘇」を交わし、「お雑煮」には、家族の各自の名を書いたT箸袋Uが配られ「おせち」を食べ新年の幸せを祈り合う。正月いっぱい、日本の正月としての伝統行事が目白押し。この月とお盆は日本人が日本人らしくなる。現代にも残したい行事、季語がいっぱいある。
 一月は寒に入る。寒気がきびしく、屠蘇で浮かれたこころや身を引き締められる。寒星の輝き、するどい凍月。そして、スキーなどのウインタースポーツも花盛りとなる。水仙が咲き、寒梅が凛として白を放つ。「寒げいこ」も日本の伝統。受験生に正月はない。


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 そして二月。「節分」の鬼やらいで冬の幕が閉じられる。しかし、残雪や残る寒さもなおきびしい。「冬萌」「春を待つ」などの晩冬の季語が浮かび上がってくる。